昨日お茶の話書けなかったんで今日は番外編。
茶道で有名な千利休のお話。
大阪の堺に生まれ、わび茶を大成させた千利休。
長次郎に依頼し、楽焼の茶碗を作らせた千利休。
あの織田信長に仕え、信長死後、豊臣秀吉に仕えましたが、
最後は秀吉の命令により切腹します。
秀吉が何故父のように慕っていた千利休を切腹させたのか、
今となっては、誰にもわかりません。
この利休切腹については今現在色々な説があるようです。
よく聞くのは、わび、さびを重んじる利休に対して、
何かと派手好きで金の茶室など、
その派手さを茶の湯まで持ち込もうとする秀吉を利休が批判したからとか、
秀吉が利休の娘を側室に望んだのに、利休が断ったからとか、
大徳寺の山門に利休の木像を掲げたのが気に入らなかったとか、
利休が安い茶道具を高くで売り、私腹を肥やしたからとか、
いろいろな話があります。
そんななか、新しい説も出てきているようです。
利休、スパイ説。
千利休は徳川家康のスパイだった!
ほんまかいなって感じですが、
利休は自分の弟子を殺されたりして秀吉の傲慢さに嫌気がさしており、
徳川家康は自分が天下をとった時に、大阪を手中に納めたかったので
堺商人の中でも力のある利休と手を組んだと。
それが、バレて切腹させられたと・・・
実際、利休が切腹の前に最後に茶室に招いていたのは
徳川家康だったそうです。
どうなんでしょうかねぇ全くないとは言い切れないかもしれません。
他にも、
利休が秀吉の秘密を握っていたためという説もあるようです。
信長が生きていた頃、秀吉は利休のことを「お師匠」と呼び
悩みなども相談していたようです。
どんどん出世していった秀吉の一番の悩みは、
子宝に恵まれなかったことだったそうです。
女性が大好きで、何人も何人も側室として迎え入れ
やりたい放題だったのに、全く子供ができなかったんです。
なのに、秀吉が高齢の50歳を過ぎた時、淀殿が男児を出産します。
利休はおかしいんじゃないのかって言ってしまったのかもしれません。
昔から、悩みを聞いていた感じでスパッと意見を言ってしまった
秀吉も薄々感じていたけど、どうしても出来なくてやっと出来た子だから
自分の子供やと信じたい!と思っていたところに
バッサリ利休に打ち砕かれてしまい、
もう〜〜〜うるさい!って思っちゃったのかもしれません。
実際、この時生まれた子供は秀吉には全くにておらず、
淀殿は、父母を死においやった秀吉を恨んでいて
他の子供をかわいがらせて復讐したという話もあります。あ〜恐い・・・
利休はそれに気づいて秀吉に教えただけなのかもしれません。
たぶん周りの人間も気づいていたけど、
秀吉にそれを言えるのが利休だけやったのかもしれません。
何が本当かわかりませんが、わからないからこうやって
色々な仮説がでてくるんですね
おもしろい半面、放っておいてあげたらいいのにとも思ってしまいます。
ちなみに、利休は武士ではないので刀で腹を切るのではなく、
扇子を刀に見立て、腹に扇子を当てた時に
横から首をスパッと落とされたそうです。
今日はこの辺で・・・
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